
今から400年前、青森はまだ歴史に名をみせておらず、「外浜(そとのはま)」と呼ばれていた。青森という地名でまちづくりが始まったのは1626年のこと。地名の由来は諸説あるようだが港近くに青々と茂る小高い森があり、それが船乗りたちの目印となっていたことから、次第に青森と呼ばれるようになったという説が有力のようだ。
※「津軽図譜」所収「青森海上泛船船中眺望図」(青森県立郷土館蔵)百川学庵画

青森市は、青森県で最も多くの人が暮らす町だ。かつては30万人以上が暮らしていたが、2025年現在の人口はおよそ26万人。冬は豪雪地帯としても知られており、酸ヶ湯温泉の積雪量は毎年全国ニュースになるほどだ。30万人規模の町としては世界一雪の多い場所とも言われており、昨冬の災害級といえる記録的な積雪は記憶に新しい。雪深い街に暮らす人々の苦労や逞しさが胸に迫る。

青森の港の歴史は、1625年に始まる。地名が「青森」となる前年、幕府から商船運航を許可する公文書を拝領したのが、その第一歩だった。
あれから四百年。港は姿を変えながら多くの人と物を迎え入れ、今では東北最大の豪華客船の寄港地として、世界各国からの旅人を迎えている。2025年は過去最多となる50隻のクルーズ客船が青森市への寄港を予定しており、町中では海外からの観光客の姿も多く見られた。

青森の夏を象徴するねぶた祭。通常運行最後の夜は、あいにく終盤につれて雨に見舞われたが、ねぶた大賞を受賞した「海王」をはじめ、今年は波の表現や海をテーマにしたねぶたが多く、開港400年に華を添えていた。
受賞したねぶたを展示している施設「ワ・ラッセ」近くには八甲田丸が。80年にわたり青森と函館を結び、多くの人や貨物を運んだ連絡船だ。歴史を感じさせる威風堂々たる姿は、青森市のシンボルの一つといえるだろう。

開港400年に続き、来年は青森という地名が誕生してから節目の400年にあたる。「あおもりまちづくり400年」として様々な行事が予定されているほか、青森県が国民スポーツ大会の開催地となっていることもあり、多くの人で賑わうだろう。
この町には厳しい雪を耐え抜く強さがあり、港町として人々を迎えいれるやさしさがある。これからも未来へと続く道を力強く歩み続けてほしい。
~参考資料~